サラリーマンと推し

最近、苦手なものがひとつ増えた。

それが、サラリーマン。

というかスーツの人。

 

絶賛休職中なのだが、外に出た方がいいよなということもあってよく遊びに出かけるのだが、スーツの人を見かけると、 

もしや弊社の人では?

と思い吐きそうになる(なるだけです)

すっかり電車が怖くなってスーツが怖くなってサラリーマンが怖くなった。

1人では間違えなく電車は乗れない。

 

スーツは萌えのひとつだったのに。

 

推しの1人に社畜がいる(ヒプマイの独歩さんです)

前までは大好きだったのに

サラリーマンか

と思うようになってしまった。

好きなのには変わりないけれど、ちょっと吐きそうな気分になる。

独歩さんごめんね。どちらかと言うとあなたもこちら側なのに。

 

こんな状況で社会復帰できるのかしら。

会社に行ったらみんなスーツなのに。

テネット

テネット見ました〜〜〜ていう文。

あんまりよく分かってないので間違ってるところも多いと思います。

 

推しのエリザベスデビッキさまが出てるので見ました。

インセプションも好きだったし。

 

結論は

デビッキさま最高&ニール激かっこよい

です。

 

デビッキさまは今日も背が高かった(当たり前だけど)

ニール役の俳優さんはロバート・パティンソンという方でなんというかおいしい2番手でした。

 

時間がキーワードの映画。

涼宮ハルヒの憂鬱ぽい気がします。

伏線回収が上手いというより、伏線を作る感じ。もうめっちゃ面白かったです。

2回見たら発見も多そう…そういう意味ではシャッターアイランドみもあるかも。

 

以上、激しょぼ感想でした。

明日について思うこと

明日は今日の次の日。それ以上でもそれ以下でも無い訳ですが、こいつのことがとてつもなく嫌いです。

いちばん私が元気なのが金曜日の退勤直後。次の日から休みなのでもうそりゃハッピーハッピーです。土曜日になると明後日は仕事か、となり、日曜日からずっと明日は仕事か、となる訳で、明日が嫌いで憎い。

それが普通で、どうか明日が来ないようにと祈りながら寝ようとするのでなかなか寝れず(寝るのは寝る)…という日々。

9月の最初の日曜日。転機が訪れました。

その転機がいいものだったら良かったのですがもう最高潮に会社が嫌になり涙が止まらなくなりました。月曜という名の明日が来るのが怖くて仕方なくなってしまった。出社日でなくテレワークなのにです。月曜はそのまま休みました。普段なら休んだ後、明日は頑張らなきゃ、となるのですが、そうともならず、何も考えたくないので一日ふて寝してました。さすがに親も見兼ねて医者に行ってお休み、という選択がされました。

休みハッピーと思う反面、自分が情けなくて申し訳なくて仕方なくなりました。明日が来ると休みも減ると思うとまだ明日が怖かった。

周りの人はでも優しくて。休みになったのなら遊ぼうと声をかけてきてくれました。

1泊2日小旅行に出かけることになりました。素敵な宿に素敵な食事、大好きな友達と一緒という予定ができるとここで初めて明日が楽しみになりました。

久々の感情です。

ああ、自分はまともではなかったんだなと思いました。(まともの定義もあやふやですが)

何が言いたいかと言うと、明日が不安は充分異常だと言うことです。

休みなんて逃げでもなんでもない(と思う)。

明日を楽しいと思わなくてもいいけれど、明日にマイナスの感情を持ち出すとアウトです。

 

大きいより小さくて普通より大きい

自分ってなんだろう……そう思う時が増えた。

アイデンティティなんか問い始めたら精神はろくなことにはなってなくて、ふにゃふにゃメンタルがもう液体寸前のこの頃である。

 

とはいえ、じっくりアイデンティティを考えてみるとどうにも自分は中途半端だ。

身長は平均よりは大きいけれど、大きいと言うには小さい。

体重は…まあ普通に肥満なんですけど、これは痩せるからノーカウントということにしてもらって。

趣味に関しても映画は好きだからよく見るけれど、日に何作品もかけ持ちするほどではない。

推しも沢山いるけれど、原作を全て把握してる訳では無い。

オタク気質だけれど、オタクの割には最近の事情を知らない。

どれもこれも胸を張って私って=○○なんです!なんて言えるものでは無い。

だから社会に対して自己紹介や自分の話をするのが苦手だ。私=○○の関数に当てはめられたら責任が取れないから。

みんなはこの当たりどう折り合いをつけているのだろうか。アイデンティティなんてみんな確立してないだろうし…

とここまで考えて普通の人はアイデンティティなんて考えないだろうとの答えに行き着いた。だってメンタルふにゃふにゃじゃないんだもの。

私はメンタルに関してもふにゃふにゃな割に身体が元気なここにしても中途半端な人。

この話の着地点も中途半端。

「孫」という役割

人にはそれぞれ役割がある。役割というよりジャンルの方が適しているかもしれない。
私でいえば、「家族」「社会人」「妹」「娘」… まあそりゃあ様々存在する。
去年この中から「孫」という役割がなくなった。
簡単に言うと祖母が亡くなったからだ。


これを書くと身バレしそうだが、私には「ばあたん」と「 ばっちゃん」という二人の祖母がいた。ばあたんが母方で、 ばっちゃんが父方。 どちらの祖父も私が生まれた時点で生存していなかったので、 私が「孫」でいれたのはこの二人がいたからだ。


おととし、 ちょうど就活がうまくいかなくて暇になっていたころにばっちゃん が亡くなった。ばっちゃんとはそこまで仲良くなかったけれど、 ダイコンを掘らしてくれたり、ミカンをくれたりした。 亡くなる数年前から体調を崩しており、 晩年は孫の中で唯一の女子だった私をひどくかわいがってくれた。 入院しているときに、マネキュアのCMをみて「(つめが) 素敵ね」といったのがなんとなく忘れられない。 ネイルしてあげればよかった、と時々思う。


ばっちゃんが亡くなってからばあたんもえらくボケが進み衰弱した 。
昨年ばっちゃんと同じような時期に突然ばあたんも亡くなった。
ばっちゃんが亡くなった時、死に目に会えなかったので、 ばあたんのときはせめて、とか、 Twitterで耳は最後まで聞こえるとか聞いていたから声かけ よう、とかいろいろ考えていたのに、 ばあたんの死に目にも会えなかった。
その日は会社で、 いつも仕事が終わり次第携帯を見るのに珍しく確認せず、 駅で母からの着信に気が付いた。母の声は震えていて、 途中で合流した兄の目も赤かった。
「人が死ぬ」ということを昨年味わったばかりなのに。
ばっちゃんよりばあたんのほうが近所に住んでいたこともあって仲 が良かった。短縮授業になるとばあたんと二人、 作ってくれた茶粥とさんまの缶詰を食べながら昼ドラを見るのが好 きだった。大学生になって昼から授業のとき、いつも「 いってらっしゃい」と見送ってくれるこの言葉が好きだった。 ばあたんにとっても唯一の女の孫であり、 時代錯誤なことを言われることもあったけれど、 昔からおばあちゃんっ子だった。
ばあたんとの思い出は書ききれないほど多い。


ばっちゃんの遺影にもばあたんの遺影にも私が成人式のときに撮っ た写真が使われた。
成人式だけでも見せれてよかったなと遺影の写真を見ていつも思う 。
だが、「人はみな失ってからそのありがたさに気づく」もので、 あんなに成人式の着物やばっちゃんには見せれなかったけれど卒業 式の袴を喜んでくれたのに、 二人がいなくなった今更着付けを始めたのだろう。 ばあたんは昔から勧めてくれていたのに何で今更ピアノをやろうと 思ったのだろう。
「何かを始めるのに今更なんてない、遅くない」 なんてきれいごとだ。
現に、私の夢二つはもう叶わなくなった。


いまでも「孫」の役割は残っているのだろうか。
祖母がいなくなったいまでも私は「孫」と呼べるのだろうか。
世間的にはもう私は「孫」ではない。けれども、 私には二人の祖母がいたし、いるし、当分の間は「孫」 も自分のアイデンティティに入れておきたい。


ばっちゃんもばあたんも最近はあまり出てきてくれないけれど、 いつでも頻繁に夢には出てきてくれていいんだよ。待ってるね。


二人の唯一の孫娘より
 

ウキの女

ブラックジャックに「沈む女」という話がありまして、最近それを読んで 自分はウキの女だな〜〜 と思った。(ブラックジャックの「沈む女」とは全く関係ない話です)

 

何がウキかと言うと気分が。

 

昨日の仕事終わりなんかはもうぷかぷか浮いて空にも浮きそうな程で。ダッシュで会社最寄り駅に向かって来た電車に飛び乗って本屋さんに向かって推しのサイン入り本を買いました。

週末ももちろん浮きで。推しのグッズを買ったり、交換したり、そりゃご機嫌です。

 

今日の午前中なんかは魚に食いつかれた状態のウキで。つまりは沈んでました。いつもと同じミスをして方々に迷惑をかけて謝り倒して。

 

元気の水面を行ったり来たり。大体は沈んで息が出来なくなって。もう少し意志の強いウキになりたいのだけれどなれなくて。

 

何が言いたいかと言うと、推しありがとうございます これにつきます。浮かぶきっかけは全て推し。ああ〜〜〜推し生まれてきてくれてありがとう。同じ時代に生きれて幸せ。

これからもよろしくね。

でもそのためにはお金が必要だね。

お金を産むのは仕事だね………

また沈んでいく。

 

 

居場所と区切られた時間

私は自由が嫌いだ。

…嫌いは言い過ぎか。苦手だ。正確には。

 

コミュ障あるあるだと思うけれど、自由にペアを組んでね〜とか遠足の自由時間とかの自由。すごく苦手だ。なんてったって相手がいないんだもの。

 

高校までは良かった。教室に自分の机があるから。そこに居たら間違いではないのだから。大学になったら自由席で、数少ない友達と一緒の講義ならいいのだけれど、講義が始まるまでドキドキだった。休憩時間より授業時間の方が好きな学生だった。

 

社会人になって。席はあるのだけれど、チャイムが無くなった。ずっと自由時間が続いている感じ。昼休憩になっても始まりと終わりがなくて。退社時刻になっても区切りがなくて。

いつもそろそろと帰りま〜すみたいに帰ってる。まあ、新入社員に残業代なんてもったいないから、会社のためだからなんて言い聞かせながら。

 

家はいい。居場所があるから。

家はいい。自由時間ではあるけれど何をしても許してくれるから。

 

普通の人は自分の席に着くまできょろきょろしたりしないんだろうな。

普通の人は仕事が終わったらすんなり帰れるんだろうな。

 

今の生活以外を夢見たりする。

誰かお笑い芸人になろ!とかバンドしようぜ!とが言ってきてくれないかな

なんて、誰かの夢に巻き込まれたい。自分で自由に飛び込んでいく勇気もない。 

自由は難しい。

自由は怖い。

これに慣れる日なんてくるのだろうか。