「孫」という役割

人にはそれぞれ役割がある。役割というよりジャンルの方が適しているかもしれない。
私でいえば、「家族」「社会人」「妹」「娘」… まあそりゃあ様々存在する。
去年この中から「孫」という役割がなくなった。
簡単に言うと祖母が亡くなったからだ。


これを書くと身バレしそうだが、私には「ばあたん」と「 ばっちゃん」という二人の祖母がいた。ばあたんが母方で、 ばっちゃんが父方。 どちらの祖父も私が生まれた時点で生存していなかったので、 私が「孫」でいれたのはこの二人がいたからだ。


おととし、 ちょうど就活がうまくいかなくて暇になっていたころにばっちゃん が亡くなった。ばっちゃんとはそこまで仲良くなかったけれど、 ダイコンを掘らしてくれたり、ミカンをくれたりした。 亡くなる数年前から体調を崩しており、 晩年は孫の中で唯一の女子だった私をひどくかわいがってくれた。 入院しているときに、マネキュアのCMをみて「(つめが) 素敵ね」といったのがなんとなく忘れられない。 ネイルしてあげればよかった、と時々思う。


ばっちゃんが亡くなってからばあたんもえらくボケが進み衰弱した 。
昨年ばっちゃんと同じような時期に突然ばあたんも亡くなった。
ばっちゃんが亡くなった時、死に目に会えなかったので、 ばあたんのときはせめて、とか、 Twitterで耳は最後まで聞こえるとか聞いていたから声かけ よう、とかいろいろ考えていたのに、 ばあたんの死に目にも会えなかった。
その日は会社で、 いつも仕事が終わり次第携帯を見るのに珍しく確認せず、 駅で母からの着信に気が付いた。母の声は震えていて、 途中で合流した兄の目も赤かった。
「人が死ぬ」ということを昨年味わったばかりなのに。
ばっちゃんよりばあたんのほうが近所に住んでいたこともあって仲 が良かった。短縮授業になるとばあたんと二人、 作ってくれた茶粥とさんまの缶詰を食べながら昼ドラを見るのが好 きだった。大学生になって昼から授業のとき、いつも「 いってらっしゃい」と見送ってくれるこの言葉が好きだった。 ばあたんにとっても唯一の女の孫であり、 時代錯誤なことを言われることもあったけれど、 昔からおばあちゃんっ子だった。
ばあたんとの思い出は書ききれないほど多い。


ばっちゃんの遺影にもばあたんの遺影にも私が成人式のときに撮っ た写真が使われた。
成人式だけでも見せれてよかったなと遺影の写真を見ていつも思う 。
だが、「人はみな失ってからそのありがたさに気づく」もので、 あんなに成人式の着物やばっちゃんには見せれなかったけれど卒業 式の袴を喜んでくれたのに、 二人がいなくなった今更着付けを始めたのだろう。 ばあたんは昔から勧めてくれていたのに何で今更ピアノをやろうと 思ったのだろう。
「何かを始めるのに今更なんてない、遅くない」 なんてきれいごとだ。
現に、私の夢二つはもう叶わなくなった。


いまでも「孫」の役割は残っているのだろうか。
祖母がいなくなったいまでも私は「孫」と呼べるのだろうか。
世間的にはもう私は「孫」ではない。けれども、 私には二人の祖母がいたし、いるし、当分の間は「孫」 も自分のアイデンティティに入れておきたい。


ばっちゃんもばあたんも最近はあまり出てきてくれないけれど、 いつでも頻繁に夢には出てきてくれていいんだよ。待ってるね。


二人の唯一の孫娘より